2026年事始め(後篇)~念願のこんぴら参り~

2日目。この日が今回の香川県訪問のハイライト。初めての香川県が県庁所在地の高松市ではなく、琴平町だというのも何かいい。その琴平町で、自治体職員を中心とした集まりである「四国OM(オフサイトミーティング)の勉強会が開催されるというので、それに参加するのが今回の目的だった。
開催は午後1時からなので、まずは朝、「こんぴら参り」をすると決めていた。自分の中では、香川県を訪れると決めた時点で絶対にこれだけは敢行したいと思っていた。なので、6時30分に起床(前日より3時間も遅い起床。笑)した時点で既に心が躍っていた。

到着した前日、香川県内なのに雪がちらつくという光景を目の当たりにし、雪を連れてきてしまったと凹んだが、朝はキリリと身が立つような冷たい空気が町を覆っていた。ちょうど午前8時、いよいよ宿を出発し、こんぴら参りをスタート。

こんぴら参り(1) 旧高松街道から参道を抜け、石段へ。象頭山に鎮座しているので象がいたり、海の神様なので船舶用スクリュープロペラが奉納されていたり。

目的地は1368段の石段の最奥にある厳魂神社(奥社)。香川県の地図全体は頭に叩き込まなかったが、金刀比羅宮の配置は頭の中に叩き込んでいたので、だいたい1時間もあれば辿り着けるだろう、という算段。喉の調子は相変わらずだし声も出ないが、走る格好だけは完ぺきだった。
表参道をとおり、いよいよ石段へと差し掛かる。まずは本宮を目指して一歩一歩足を運ぶ。

石段の両側に立つ土産物店や飲食店も気になるところだが、まずは先を目指す。
前日に降った雪か雨が石段を濡らし、少し走りづらいところもある。というよりも、大門が見えてきた300段にも到達しないうちに息切れを発動し、喉がヒーヒー言い始める。呼吸を整えるため歩きに変えたり途中でまた駆け上ったりを繰り返しつつ、途中あちこち寄り道しながら8時30分前に本宮到達。ちょうど授与所が開いたようなので、御朱印等を授かる。

こんぴら参り(2) 本宮から奥社へ。うっすらと雪が積もっている光景に、複雑な思いを抱いたのは事実。

さてと。一呼吸整えて、更に先にある奥社を目指す。本宮周辺には、御祈祷のためにやってきたと思しき造船会社の方々が大勢いたが、奥社へと続く石段は一気に人の数が減る。途中、うっすらと積もる雪を避けながら、8時50分に奥社へ達した。

達成感なのか澄んだ空気のせいなのか、気持ちが洗われる。パワースポットと言われるのもわかる気がした。ここでも御朱印とお守りを授かり、来た道を下る。

こんぴら参り(3) 復路は膝がガクガク。神馬の2頭とじっくり対峙できたのは良かった。

上りの石段はヒーヒー言いながら脚がパンパンになりそうだったが、下りの石段は滑るかも知れないという先入観が発動し、内心ビクビク膝ガクガク状態になりながら下った。

石段の69段目、金刀比羅宮境内で特別に商売を許されている「五人百姓」のうちの1軒である「池商店」に立ち寄り、「加美代(かみよ)飴」を購入していると、先週初めてお会いしたばかりの坂出市役所職員、藤田さんとバッタリ遭遇。

加美代飴。箱の中には小鎚が入っています。飴を割って幸せを分け合う、という意が込められているようです。

「後ほどお会いしましょう」と声を掛け合い、無事「こんぴら参り」を終えて宿所に戻った。
昼食にはまだ早いが朝食を取っていなかったので、その藤田さんに教えてもらった「むさし」でカレーうどんを食らう。流儀としては、うどんを食らった後に白米をぶち込んで食べる、というのが美味しいらしい。

「むさし」のカレーうどんとご飯。福神漬けが付いてきた。

うどんを食べ終えた後、残ったカレーにご飯をイン。これが美味い。

…確かにこれはうまい。というか、こんなカレーうどんを食したのは初めてかも知れない。
こういった「初経験」にまたしても心ときめきながら、次の目的地へ。

前夜の懇親会の場で、福田さんから日本最古の芝居小屋「旧金毘羅大芝居」(金丸座)が今回の会場のすぐ近くにあると聞いていたので、開場の前に訪れてみようと決めていた。

入館料500円を払い、中へと足を踏み入れる。入場して靴を脱ぐと、ガイドを務める年配の方に「もしよろしければご案内しますよ」と声を掛けられる。
ガイド料は無料なので、絶対にお話を聞いた方が良いです。

「旧金毘羅大芝居」(金丸座)。いやあ、素晴しい施設だった。ここはホントに行って良かった。

春には「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催され、錚々たる顔ぶれの歌舞伎役者が顔を揃えるという芝居小屋。造りもさることながら、その一つ一つの建築美にうっとりしながら、約40分間にわたって中を回った。

四国OM勉強会の会場は、この建物の至近距離、道路を挟んだ反対側にある琴平町公会堂。
こちらもまた木造日本建築の立派な建物で、中もまた、こういう建築物大好きな私が心躍らせるような、非常に立派な建物だった。

四国OMが開催された琴平町公会堂。素晴らしい建物で、熱のこもった勉強会が繰り広げられた。

13時から始まった勉強会は休憩を挟んで17時過ぎまで続いた。
琴平町の町長も参加した今回の勉強会、私はどちらかといえば部外者的立場なので傍観していようと思ったが、一緒に参加した皆さんの熱い思いに乗せられ、問題点や課題のあぶり出し、その解決方法に頭を捻った。

会場の後片付けも参加者みんなで実施。夕方から開催された参加者同士の交流の場となる懇親会にも参加させていただいたが、何せ声が出ない。

勉強会当日に誕生日を迎えた福田さん。喜色満面の笑みにみんなが癒される。

これに呼応するように体調も相当悪化し、頭もボーっとする中、失礼極まりないとんでもない失態を2度にわたり繰り返してしまったため、一次会で逃げ帰るように宿所へ戻った。

3日目。この日は青森へ帰るだけだが、どうも天気が怪しい。またしても寒波の影響で大雪となり、航空機が飛ぶかどうかもわからなくなってきた。高松空港からの帰りの便は、初日に50分遅れで高松空港に降り立った便の折り返し。琴平から坂出経由で岡山まで行き、山陽・東海道新幹線と東北新幹線を乗り継いで帰ることも頭をよぎったが、ひとまず空港に行ってみることにした。きっと行けば何とかなるだろう。

気を揉みながらかなり早めに空港へ向かったが、結局高松からの便はほぼ定刻に高松空港を離陸、機上の人に。
が、予想通り羽田からの乗継便が遅れたため、結局青森空港には30分遅れで到着、自宅に戻ったのは20時頃だった。

初の香川県は最初から最後まで気を揉み続けることとなったし、体調不良もあり忸怩たる思いをすることも多々あったけれど、琴平町の雰囲気がとても良くて、また訪れてみたいと素直に思った。

今回お目にかかれた皆さまには心から感謝申し上げるとともに、自分の不手際で聞き取りにくい声や突然の咳き込みなどにより御迷惑をお掛けしたこと、そして、失礼極まりない失態により不快にさせてしまった方々に、心の奥底深くからお詫び申し上げます。

皆さん、本当にありがとうございました。そして、本当に申し訳ありませんでした。
いつか絶対また香川に行くぞ。

結論。香川県内のうどんはどこでも美味しいっす。

釜玉うどんに鯛ちくわをトッピングで頂きました。

琴平町の醬油屋さんの店頭に貼ってあった。正体不明に心ときめく。

2026年事始め(前篇)~香川県初訪問~

早いもので今年も残すところあと11か月を切った。
1か月なんてあっという間だが、今年の冬はやたらと長く感じる。
理由は言わずもがな「豪雪」だろう。

昨年は弘前市でとんでもない積雪量となったが、今年は青森市がその「餌食」となった。
県庁所在地の中でも最も積雪量の多い青森市。こんなに豪雪となったのは40年ぶりだそうで、昭和61年に遡る。
ただ、この年は全国的にも大雪だったらしく、首都圏でも結構な人数の負傷者が発生するような大きな事故も起きていたようだ。

例年のように気象状況が変わっていることを憂いている私、線状降水帯があるなら線状降雪帯もあるだろうし、ゲリラ豪雨があるように、ゲリラ豪雪だって起きるんじゃないかという懸念が、いよいよ現実味を帯びてきた気がする。

酷かったのは「10年に1度」と言われる寒波の襲来で、今年は1月21日頃から25日まで襲来。第2弾が1月下旬に襲来するとのことだったけれど、ずっと居座っていた感がある。
もはや「10年に1度」が当たり前となりつつある昨今、もっともっと酷いことになることも考えられる、ということだろうか。先を考えるとゾッとしてしまう。

まあ、雪の話については脇に置いておくとして。

そんな豪雪の最中、2026年の「事始め」をスタート。手始めに1月23日から生まれて初めて香川県を訪問することとなった。

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2026年、今年もよろしく

2026年1月1日午前6時30分。弘前八幡宮へ初詣。

今日は1月12日(月)成人の日。

成人してから35年が経ったが、自分がまともな大人になっているのかどうかは自分だとわからない。漫然と齢を重ね、あと3週間もしないうちに55歳の誕生日を迎える。

50代を迎える頃から、年齢なんてただの数字だと嘯いているが、この5年間で心身の変調は色々あったし、頭髪が一気に白くなったことで、見た目がすっかり年寄りっぽくなってしまったのはどうにもならない。寄る年波に抵抗し続けようと思っていたが、そろそろ歩調を合わせなければならない時期に差し掛かっているのだろう。

2026年が始まって既に10日が過ぎている。

昨年を振り返ると、師走の8日に発生した青森県東方沖地震への対応に追われる中、クリスマスの時期に予期せぬインフルエンザ感染が待ち受けていた。結果、2日早く仕事を納めることとなり、12月25日から年末年始の休暇に入る羽目となった。

罹患直後は今までで一番キツい状態に陥ったため、寝込んだまま年を越すのかと焦ったが、何とか快復し、何事もなかったかのように年末年始を迎えた。

しかし、気分的には全く年を越した感覚がなかった。
結果、今年最初のやらかしは、届いた年賀状への返礼を出す際に、誤って「2025年1月」と記したこと。

さて、昨年掲げたいくつかの目標のうち、果たせなかった目標が幾つかあった。

・今まで行ったことのない土地を訪れる
・今まで知らないことを知る
・自分の健康を気遣い、体力作りに励む

この3つは達成したとは言い切れず、今年に「繰越」することとなった目標。いわゆる積み残しだ。

上の2つについては、早い段階で処理が完了しそうな気配。どうやら今月末までには達成されそうだ。

人生二度目の四国訪問となる、香川県への旅程計画。
どんな出会いがあり、そしてどんな学び、気付きが得られるだろうか。今から楽しみだ。

積み残しとなっている3つ目の目標は、恐らくこれからの永遠の目標になるのだろう。

あれほど走ることに熱中していたはずなのに、仕事に追われ機会を逸した途端、一気に走らなくなった。結果、尾崎豊の歌ではないが、俺の身体はブクブク太り始めた。

痩身で色黒だった約10年前と比較すると、すっかり別人のようになった。
いや、10年前が別人だったのかも知れないけれど。

今年は改まって何か目標を立てるというよりも、自然体で臨む、これに尽きるのかな。

ただ、年内で減らさなければならないものはたくさんありそうだ。50代も半ばを迎え、そろそろ身辺整理を始めた方がいいかな。今年こそちゃんと断捨離に励もう。

最低2年は着ていない服、読み終えた本、聞いていないCD、ストレス、体重、酒量。

その他にも断捨離したいものが色々浮かんでいるが、断捨離しちゃダメなものもある。
絶対に持ち続けなければならない矜持、みたいなもの。

誰かのためになりたい、役に立ちたいという想いは、ちょうど多感な時期(小学校高学年~高校入学直後)に経験したボーイスカウトでの経験で刷り込まれた。いわゆる「奉仕」の気持ち、これは今の仕事にも通じるところがある。

55年の紆余曲折の人生を振り返ったときに、自分は本当に強運に恵まれているな、と思うところがあるし、こんなどん底を経験する人なんてそんなにいないぞ、と思うところもある。

この先のどこかで人生を振り返った時に、ああ、色々あったけれど面白かったな。そう思えるのが本望かな。

今年はどんなことが待っているだろう。平坦な道を歩くことはないだろうし、もしかしたら棘だらけの道なのかも知れないけれど、それもまた楽しそうじゃないですか。

皆さん、私の2026年はようやく幕を開けました。明けましておめでとうございます。

2025年を振り返る

気がついたら今年を振り返る間もなく2025年が幕を下ろそうとしていた。
スケジュールは紙と電子のハイブリッドで管理しているが、11月を半ばを過ぎた頃から、紙のスケジュールがほとんど白紙になっていた。記録していたスケジュールそのものが白紙になった、という意味も含まれている。

毎年恒例、というわけではないが、一応備忘録的なことも含め、慌てふためいて1年を振り返ってみる。

【1月】
2023年、消防大学校での研修で一緒になった有志数名と都内で「同窓会」を開催。待ち合わせ直前には東京駅で生まれて初めてドクターイエローと遭遇するなど、何だかとても有意義な旅となった。これで今年はいい一年になる、と思ったのだが…。

ドクターイエローの東京駅18番ホームへの入線シーン。思わず拍手しそうになった。

【2月】
1月に続いての上京。
5年ぶりのサザンオールスターズのライブは、さいたまスーパーアリーナで開催された1日目を観ることができた。入手したチケットはいわゆる「注釈付き」の指定席だったが、会場を訪れてみるとなんとステージ真横の前から2列目!確かに見辛い場面もあったけれど、こんなこともあるんだな、強運は続いているな、と薄ら笑いを浮かべていたのだこの時は。

さいたま新都心駅からはさいたまスーパーアリーナをぐるりと半周して最奥部にあるNゲート。この時点で期待薄だったが…。

【3月】
別れの季節。定年延長に伴い、退職の概念がよくわからなくなってきた。役職定年、任期満了、普通退職、早期退職…。何人かの新たな門出を拍手で祝した。そして、自分も僅か1年で異動が決まった。異動先は、3年前まで在籍していた職場。1年で異動することも、出戻りになることも、今回が初めてだった。

【4月】
出戻りとはいえ、立場が変わっての異動となったため、4月は怒濤の如く時間が流れた。勝手事情を知っているはずの職場だったが、業務の内容が大きく変わっていた。いや、やること目指すところは変わらないはずだけど、更に多岐に及んでいるということを改めて痛感することとなった。

【5月】
一生のうちに一度観ておきたいと思っていたアーティスト、竹内まりやのコンサートを観るため仙台へ。内容は素晴らしいものだったし、感動した。夫の山下達郎との共演もしかと見届けることができた。でも、終演後の空虚な想いが何だったのか、その答えは未だに見いだせずにいる。
そして中盤、今年最初で最後となったマラソン大会出場のために八戸市へ。なんとそこでは、これまで30年以上会っていなかった従弟と偶然再会。考えてみると、今年はこんな○年ぶり、数十年ぶりの再会、が非常に多い年だった。

竹内まりや仙台公演の開演時刻まであと20分ほどのセキスイハイムスーパーアリーナ

【6月】
年の前半は結構ライブやコンサートに足を運んでいた。盛岡市で開催された角松敏生のライブ。彼のライブも数年ぶりだ。全国ツアー千秋楽の前の公演は、かなり素晴らしいステージだった。収容人数約1500人程度の小ぢんまりとしたホールながら、縦に長いということもあって、2階席からもその姿をはっきりと拝むことができた。何よりも、開演前に盛岡駅の駅ビルで飲んだビールがとても美味しかった。

味も風味も全く異なる3種類。

【7月】
4日、仙台への出張に会わせ、午後から休暇を頂いて十数年ぶりとなる山形市訪問。
お久しぶりの方、初めましての方と一献を設け談笑したあと、未明にホテルへ戻った直後、青森県内に土砂災害警戒情報発表の知らせ。深夜ということもあり山形市から駆けつける手段がなく悶々としながら翌朝、仙台から新青森に向かう始発の新幹線に間に合わせるべく山形をあとにした。結局、新幹線乗車直後に土砂災害警戒情報は解除となり、事なきを得た形となったが、どうやらこれが風雲急を告げるきっかけとなったようだ。月末にはカムチャツカ半島地震に伴う津波警報に泣かされることに。

【8月】
この月は色んなことがあった。まずは、週末になると不思議と発表される土砂災害警戒情報のたびに出勤を余儀なくされ、週末の休みだけではなく気力も体力も精神力も削がれていった。そんな中、以前からずーっとやりたいと温めていた職員研修を8日に開催。前日からの大雨への警戒で徹夜明けとなり、しかも依然として警報が発表されている中となったが、関係者も含め20名前後が参加して映画「ふるさとがえり」の試写会を開催。これが何かの契機になれば、と淡い期待を寄せての開催した結果、その後2つの上映会開催が決定したことは、とても喜ばしいことだった。
そしてこの月末、満を持して「夏の沖縄」に数年ぶりに足を運んだ。

【9月】
直近2年間は「冬の沖縄」12月の訪問だった。理由はNAHAマラソン出場。これに合わせて、母を初めて沖縄に連れていった。今回は12月に予定が入っていたので(のちにそれが1週ずれていたことを知るが、結果オーライ)、今回は自分の夏季休暇に合わせて訪問することとした。それほど暑くなく、概ね天気にも恵まれ、いい夏季休暇、息抜きとなった。

9月1日朝9時


【10月】
この頃から業務が慌ただしくなり、徐々に余裕がなくなっていった。初めて取り組む業務に戸惑いながら、なんとか体裁を保っていった、といった感じ。合間を縫って、三陸沿岸を訪問する岩手県へのプチ旅を急遽挙行。約12年ぶりの宮古市、ちゃんと下り立つのは初となる釜石市、陸前高田市などを巡る旅。雨に降られたものの、自分自身の思いや気持ちを昇華させる旅となった。

【11月】
3日、弘前市民会館で開催されたウルフルズの全国ツアーに初めて足を運ぶ。オリジナルメンバーが全員揃っていなかったのは残念だったけれど、それを抜きにしても楽しいライブだった。
そしてこの前後、とある方との再会を機に、僕はある決心をしている。年明け1月、四国に行くよ。初めましての皆さんどうぞよろしくね。
この月はもう一つ、業務の関係で石巻市を訪れる機会を得た。震災から間もなく15年というこのタイミングで東日本大震災で被災した各地を訪問できたのは、本当に良かった。と思っていたのだが…。

復興祈念公園内にある追悼の広場。言葉を失うんだよね、なんか。

【12月】
ある意味今年は12月が重過ぎた。1日に観た佐野元春のデビュー45周年、The Coyote Band結成20周年のライブ。ああ、いいライブだった。今年もいい年末を迎えられそうだ、と思っていた矢先の地震。
震度6以上を観測する地震は、僕の記憶が正しければ1994年12月の三陸はるか沖地震以来。異なる時期に津波警報が年に2度発表された記憶もない。
嬉しいことも。新採用として勤め始めた平成5年当時の係員が一堂に会したのは約30年ぶり。今年は引き寄せが強い。そして最後にサンタクロースが24日に届けてくれたプレゼントは、数年ぶりのインフルエンザAだった。不本意ながら2日早い御用納め。「休め」のサイン、というのは都合の良い解釈。これで迷惑を被った人もいるかもしれないので、ただただ申し訳ない。

【2025年は波乱万丈】
ジェットコースターの如く目まぐるしく入れ替わる喜怒哀楽。50代に入ってから、一番色んなことがあった一年だったかも知れない。

神棚の下に飾る「袴紙」。不器用ながら手製。

【#佐野元春45周年アニバーサリーツアー 】 #青森公演

デビュー45周年、そして間もなく古希を迎える佐野元春が、結成20年目を迎えたTHE COYOTE BANDとともに青森県でのライブを12月1日に行った。
青森県青森市で17年ぶりとなるホール公演の会場は、青森市民ホール(リンクモア平安閣市民ホール)。このブログにも2008年、The Hobo King Bandを従えた同じ会場でのライブの鑑賞記録が残っていた。あの時は前から3列目の真正面という、とんでもない位置からステージを観ていた。
一方、THE COYOTE BANDとのライブはこれまで、青森市内のライブハウスでしか行われていないが、45周年記念となる今回の公演、またたく間にチケットは完売したらしい。

月曜日。仕事を切り上げて18時30分過ぎに会場へ向かうと、それ相応の年代の方々が、吸い込まれるように会場へ入っていく。

会場の隅に飾られていたこの前で、多くの観客が一緒に撮影していた。

キャパは900人近く。2階席もあるこぢんまりとしたホールだ。何よりもここの会場の良いところは、どの席からもステージがよく見えること。
今回は1階の比較的後方の位置だったが、ステージの全景を眺めることが出来るし、演者の指さばきや所作もはっきり見える。期待に胸踊らせながら開演の時間を待つ。
19時過ぎ、ホールの照明が落とされ、いよいよライブがスタート…

青森公演をもって、一連の地方公演が大団円を迎える(ただし、京都と香川の振替公演が年明けに予定されている)のだが、まだツアーが終わっていないということで、ここからはあくまでも個人的な感想。感じ方は人それぞれということで、異論反論はご勘弁を。

端的に言えば、この日の公演を本当に楽しみにしていたはずだったのに、ステージに接している時の自分の中に芽生えた違和感、そして公演が終わった後に感じた消化不良の正体は一体何だったのか。以下、心のぼやき。